在宅映画鑑賞のススメ第2弾:アメリカから台湾まで5作品
欧米からみればとうにコロナは終息宣言かもしれない昨今、いかがお過ごしでしょうか。
今回はオススメ映画の続編をお送りします。
ワイルド・アット・ハート
1990年/米/デヴィッド・リンチ
恋人の母親に送り込まれた殺し屋を逆に殺してしまった。出所した男は恋人を連れてカリフォルニアへと旅立つのだが・・・ |
物語はとてもシンプルでわかりやすく、シリアスなものではない。そのシンプルさが丁度良く、リンチの感性を引き立たせるものとなる。
この映画はリンチの刺激的な感性をこれでも食らえ的に好き放題に暴れさせたもので、であるがゆえに950万ドルの低予算なのにカンヌ映画祭でグランプリを受賞している。すばらしいぞカンヌ!
特に1990年としてはグラサンにヘビ皮のジャケットの格好がすでにブッ飛んでいて、ニコラス・ケイジしか考えられない配役と、異様に迫力ある存在感のローラ・ダーンは大声で暴れ出して踊ったりしている。
恋人の母親は娘に異常に執着して口紅を顔面に塗りたくって怒り爆発になったり、タバコ2本を同時に吸う主人公がいる。そのタバコをドアップで撮影したり、どう考えても普通は使わない捨てカットを使うつもりで撮ったリンチの感性は観客を刺激する。
これはアニメや劇画の世界ならあるんだけれど、それを実写でやってしまう凄さ。さらにケンカのあとにマイクを奪ってラブミーテンダーを歌うような自由すぎる(ような)シーンが加わる。さて、この感性についていけるだろうか?
鏡
1975年/ソ連/アンドレイ・タルコフスキー
監督タルコフスキーの自伝的な要素が含まれ、記憶の奥底、心の深層と現実を交差させながら自身の感情を浮かび上がらせる、まるで鏡のように。みたいなことだと思うけどわかりにくい。 |
スターリン政権になり、かつての映画監督はメガホンを取れなくなってしばらく経過し、芸術的な進化は止まったかのように思えた。1952年に政権が交代し、60年代に入るとタルコフスキーの映画が製作されるようになる。
しかし彼は欧米や日本の影響が強いせいか検閲に苦しみ、やがて亡命することになった。しばらくしてゴルバチョフが彼の名誉回復を宣言するが、1986年、52歳のときパリで肺癌のため亡くなってしまった。
筆者が敬愛する北野武監督が映画は遊び道具的な話をされていたけれど、タルコフスキーの映像にそんな感じはまるでない。映画と戯れるようなことはせず、重くのしかかってくる。
独特の詩的な映像美や寡黙で長回しのショットは、完成させるために恐らく何度もリテイクして粘りまくっただろう。作品が難解なために万人受けされにくいが世界中に熱狂的なファンがいる。
黒沢明や溝口健二に深く傾倒していたのも本作で伺える。既述の通り、記憶の奥底、心の深層と現実を交差させながら映像化するタルコフスキーらしさがあり、また、代表作ともいえる。
黒沢に影響を受けた彼の映像の特徴は「水」であり、交流のあった黒沢には逆輸入のように水の撮影手法を伝授している。黒沢は映画「夢」でそれを再現してみせたのだった。
アラビアのロレンス
1962年/英・米/デヴィッド・リーン
実在する英国陸軍将校トマス・エドワード・ロレンスは第一次大戦下、オスマン帝国からのアラブ民族の独立闘争を率いた。 |
62年の映画といってもゴリゴリの古典映画で、70㎜フィルムを使用して壮大なスケールで描いてみせた。
永遠と続きそうな雄大すぎる砂漠をラクダで移動するショットは息を呑むほどの美しさで、また、地平線の彼方から蜃気楼を黒い人影が潜り抜ける有名な3分間があり、これらのシーンを暇で長いと酷評する人はどうかしている。
自然の壮観さ、その映像の美しさという意味で本作にかなう映画はないのではないだろうか。
カメラを持った男(これがロシヤだ)
1929年/ソ連/ジガ・ヴェルトフ
映画のあらゆる技法を駆使したドキュメンタリーなんて言葉がなかった時代のドキュメンタリー映画。 |
同時代でアメリカではロバート・フラハティがいて、ソ連ではジガ・ヴェルトフがいた。同時進行的にドキュメンタリー映画を撮っていたが、まだこの頃はドキュメンタリーなんて言葉はなかった。
現代でイメージするドキュメンタリーはどちらかというとロバート・フラハティの流れかもしれない。
本作は多重露光、低速度撮影、スローモーション、ジャンプカット、超接写等々、映画技法を駆使している。
エイゼンシュテインのようなモンタージュ理論と違って観客にカメラを意識させない、ある意味客呼び映画と対峙してキノ・グラース(映画眼)を提唱したヴェルトフの集大成ともいえる。カメラを人間の目の延長と捉え、キノ・プラウダ(映画的な真実)を追求する。
フランスのジャン=リュック・ゴダールらが結成した組織は「ジガ・ヴェルトフ集団」と名付けられたように、前衛映画の象徴的な響きがある。
尚、筆者は政治についてはよくわからない。
悲情城市
1989年/台湾/侯孝賢
日本統治時代の終わりから、中華民国が台北に遷都するまでの台湾社会が描かれる。すでにスターだったトニー・レオンが抜擢された。 |
筆者が台湾を好きなのは侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の映画の影響がある。というか、侯孝賢が好きだから台湾に行きたい。
本作の影響で台湾の九份は常に大勢の観光客で溢れている。台湾から山形のチャーター便はあるものの、山形空港からは行けないので近くても仙台空港発着になる。現在は新型コロナの影響で行くことはできないが、通常はLCCで安価に利用できる。落ち着いたら侯孝賢映画・聖地巡礼を実現したい。
興行側の意向でスターを起用するため、トニー・レオンが抜擢されたが台湾語が話せないため聴覚障害者の役に変更されたといわれる。
カメラは大きく動くことはなく、アップもなく、静止した長回しの状態はまるでドキュメンタリーのように役者を写し続ける。であるからこそのリアル感がそこにあり、ある種の怖さもある。
娯楽とはいえず、シリアスで没入していくと、観客は見終わった後に大きな感動とため息をつくだろう。
侯孝賢の映画にしか出演しておらず、活動期間が短い女優の辛樹芬(シン・シューフェン)がカワイイ。
おわりに
あー疲れた。