新庄まつり:24日・宵まつりで山車行列を見てきたの巻
ユネスコ無形文化遺産たる「新庄まつり」は毎年8月24日~8月26日に開催されますが、3日間に渡ってあらゆる行事があるのですべてを取材するのは無理そう。
なので、毎年少しずつ撮影することにして、今回はその第1弾として「24日・宵まつり」の山車行列を見に行ってみた。
歴史
今から260年以上前の宝暦6年(1756年)から始まるとされる。この前年、いわゆる「宝暦の大飢饉」により、新庄藩は未曾有の大飢饉に見舞われ、領内では多数の餓死者がでた。
時の藩主戸澤正諶(まさのぶ)は前年の大凶作にうちひしがれている領民に活気と希望を持たせ豊作を祈願するため、氏神である新庄城(現在の最上公園)内に現存する天満宮の祭典を行った。これが新庄まつりの起源と考えられている。
記録に山車が登場したのは1776年であり、現在の山車の原型といえる飾り物・花笠鉾などの行列が当時から存在していると考えられ、祇園祭の影響が見られるという。
新庄まつりは年を経るごとに大掛かりになり、1962年(昭和37年)には灯籠(灯篭)によるライトアップがされるようになる。その後も、灯籠に代わって山車に発電機を仕込んで電飾によるライトアップが行われるようになり、ますます山車が色鮮やかに飾り付けられるようになった。
市内の道路が舗装される前はデコボコの道路を砂塵を巻き上げながら山車が運行され、まるで人形が生きているように見えたと言う。また、市内に電線が張り巡らされる前は、より大きな山車を作ることに血道をあげていたが、電線が張り巡らされたり、道路の舗装により、電線の高さや道路の幅に合わせた大きさの山車に統一されるようになった。
宵まつり・本まつりに豪華絢爛を競う20台の山車行列、200人の侍や神官による神輿渡御行列(みこしとぎょぎょうれつ)、新庄城址で舞われる風雅な萩野鹿子踊・仁田山鹿子踊(ししおどり)。藩政時代をしのばせる歴史絵巻が次々と繰り広げられる。
2009年3月11日、「新庄まつりの山車行事」として重要無形民俗文化財に指定された。
2016年11月30日、「山・鉾・屋台行事」のひとつとしてユネスコ無形文化遺産に登録された。
参考:Wikipedia、新庄まつりWEBサイトなど
24日 宵まつり
朝、最上公園で新庄囃子が奉納され、3日間の無事と安全を祈願する。その後、戸沢神社の例大祭が行われる。
駅前アビエスでは、囃子若連による新庄囃子合同演奏会が開催される。
各町内の若連が1ヵ月以上かけてつくりあげた山車は、町内を一周して山車の披露を行ってから市内を練り歩き、夕方になると山車運行の出発地点に集合する。
集合場所は露店の目の前で、人が賑わう中行われていた。
宵まつりは、灯入(ひいれ)式で幕を開け、歌舞伎の名場面や歴史絵巻を再現した山車に照明が入り、その後市内南北両方面に分かれて出発した山車は、まつり囃子に乗り掛け声に合わせて進み、午後7時頃に南本町十字路で落ち合う。
幻想的な山車は人々を幽玄な空間へ誘い込む。
アビエスでは有料観覧席が用意されS席前に各山車が一旦止まり、解説を聞きながら鑑賞できるようになっている。(午後7時~8時30分頃)
S席:2,000円
S席中央:2,500円
A席:1,500円
駅の屋上からカメラを構える人が羨ましい。
有料席ではない、駅前の通り沿いにはたくさんの人が場所を確保して座り始める。
駅構内から鑑賞する人もチラホラあらわれるが、ガラスに反射してイマイチの様子。
駅前通りを運行し駅前広場「アビエス」に向かってパレードするとまつりは最高潮に達する。
山車はここで解散して午後9時頃までには各山車小屋に戻り、若連が明日に向け景気付けをするらしい。
その後は出店に大勢の人が繰り出し、午後11時の交通規制解除まで街全体が騒がしくなる。
異常な汗の量だったので、そうなる前に帰宅。
あとはまた来年。
名称 | 新庄まつり(しんじょうまつり) |
URL | http://shinjo-matsuri.jp/ |
開催時期 | 毎年8月24・25・26日 |
開催時間 | 8:30~20:30など |
規模感 | ☆☆☆大 |
料金 | 無料 |
駐車場 | あり |
問合せTEL | 0233-22-6855/新庄まつり実行委員会 |
アクセス | 新庄駅前 |
開催地 | 新庄駅前ふれあい広場「アビエス」ほか市内 |