黒瀧山 向川寺 | 大石田町・寺院
今回は取材に全面協力のもと、記事を掲載させていただきます。ご協力いただき誠にありがとうございました。
大石田町には最上川が流れ、堤防沿いに大きな道路が舗装されている。
西の方へ向かっていくと、あったまりランド深堀の手前に最上川を挟む赤い橋が目立っている。
これが黒滝橋で、独特の風情を醸し出している。この付近にくると、遠方に白い仏舎利塔を確認できるようになる。
早速向かってみようと橋を渡っていると、途中、サギと思われる鳥が迎えてくれた。
さらに近づくと、大イチョウの奥に松尾芭蕉が立ち寄ったといわれる黒滝山向川寺が見える。↓説明書き一部抜粋
黒滝向川寺本堂の東側にあるイチョウの巨樹は目通り幹囲5.7メートル、高さ30メートルで、樹齢は約600年といわれ、向川寺を開山した高僧 大徹(だいてつ)禅師のお手植えといわれ、古来より黒滝のイチョウとして近在近郊より親しまれている。
道路に蛇の子供が死んでいたけど気にしないで奥に進んで階段をのぼる。
最近新しくなった建物付近はとても静かです。
↓説明書き一部抜粋
この寺は、大本山總持寺三十六門跡の直末寺院であり、山形県をはじめ宮城、秋田の両県に二十八の末寺を持ち、孫寺数百を有する中本山である。
記録によると応永八年(1401)をはじめ数度の火災に遭っており、その度に伽藍(がらん)配置が変わり現在に至ったと考えられている。
今日見るあたりは往時僧堂であったと思われ、創建の頃は、後背の山地一帯に塔堂伽藍が立ち並ぶ一大禅寺であった。
幾百の僧が全の神髄を求めて修業を重ねた所である。
現在、山形県下並に東北地方最大の宗派である曹洞宗は、ここ黒瀧を拠点として勢力を拡大していったと考えられている。
したがって、単に歴史的に古いというだけでなく、今日なお、私達の生活に根強く生きている文化、この地方の禅思想は、この寺を核として浸透していったものであり向川寺の存在は極めて重要な意味を持っている。
敷地内を進んでいくと、大カツラが見えてきて遠方に仏舎利塔を確認できる。
↓大石田町のウェブサイトより
大カツラは約1.5メートル根上りになっており、根周8.5メートル、さらに1メートル上の幹囲は7.08メートルあります。約8メートル上部で側杖を分かちますが、おおむね直幹で、高さはおよそ39メートルに及んでいます。崖際にあるため、東面は崖下まで約4メートル幹状の根部をあらわしています。
県内のカツラの巨木は、おおむね株立ちですが、このカツラは一本立ちで、県内随一で、全国的にも注目されています。このカツラは、向川寺開山の高僧大徹禅師のお手植といわれ、樹齢600年をこえるといわれています。
高さ20メートルの仏舎利塔に近づいてみます。
ご親切に案内していただき、外観、内部、お寺など敷地内すべての撮影許可をいただきました。(しかし内部の撮影は躊躇いました。また、公開にも抵抗があります。)
スリランカより舎利(釈迦の遺骨)が寄贈され、平成9年10月に仏舎利塔が建立されました。
仏舎利(ぶっしゃり)とは、入滅した釈迦が荼毘に付された際の遺骨及び棺、荼毘祭壇の灰燼(かいじん)を指す。
「舎利」は遺骨または遺体を意味する梵語シャリーラ(śarīra)の音写(śarīra शरीरの本義は単に「肉体」の意で、死体も指す)。また、仏舎利と舎利は日本に於いてしばしば同義語で、「舎利」と言うことで聖者や釈迦のそれを他と区別する。 Wikipediaより
外壁には彫刻が施されており、釈迦の生涯を説明しているという。
↓生誕(天上天下唯我独尊)
↓出家して苦行をする。
このような彫刻が続いていく。
↓涅槃(入滅)
足元にはこのような立ち位置を示すものがある。
中に入らせていただく。
天井は中央が吹抜けになっている。
↓落慶法要記念写真
内部には仏舎利塔を小型化したような形で、極彩色のスリランカ様式の位牌が大小たくさん並べてあり、さらにその中を開けて見せていただいた。さすがに撮影しませんけど。
釈迦の傍で眠りたいとさえ思ってしまった。
スポット名 | 黒瀧山 向川寺(こくりゅうさん こうせんじ) |
ジャンル | 仏教寺院 |
TEL | 0237-35-3407 |
拝観受付 | 時間など要問合せ |
休み | 要問合せ |
拝観料 | なし |
住所 | 山形県北村山郡大石田町横山4375-2 |